ブラジル代表カカが初めてサッカーで稼いだお金
ワールドカップドイツ大会で私が注目している選手は、アルゼンチンのメッシ、オランダのロッベンとスナイデル(出場出来なそう?)、それとブラジルのカカ。
そのカカが日本にホームステイしていたと言うニュースを見てちょっと驚いた。カカファンとして何故これを知らなかったのか。
カカが日本を訪れたのは平成5(1993)年秋。山形県と宮城県の県境にテーマパークができ、オープニングイベントの一環としてサンパウロFCのジュニアチーム(小学5年生)が来日した。ブラジルの富裕層の子供たちで、渡航費用は自費負担。そのなかにカカもいた。父はエンジニア、母は大学教授。ACミランと契約した際にはイタリア紙に「ブラジル代表イコール貧困のイメージを変えた」と書かれた。 来日した少年たちは約2週間、東北の山間部で農家に泊まり、芋掘りなどで交流を楽しんだ。世話人として奔走した押切さんは当時のカカを「背も小さくてかわいい子供だった」と振り返るが、宮城県の選抜チームとのサッカー大会では、既に才能の片鱗(へんりん)を見せていた。「ポジションは今と同じトップ下。キャプテンで、パスもドリブルもうまかった」
彼は富裕層出身だったんですね。これも初耳。
で、その下にこんな記述が。
一人だけ別次元の動きを見せたカカは最優秀選手に選ばれ、茶封筒に入った五千円札を手にした。
今では何億もの金を貰っているカカだけど、この時の5千円札は今でも大事に取っているとか。
最後にちょっと感動的な所を
2002年、日韓W杯では決勝戦を控え、静岡県浜松市のホテルに宿泊するカカを訪ね、こいのぼりを手渡した。「日本では、自分の子供が立派に成長してくれることを願って渡すんだ」と話す押切さんに、カカは「ありがとう」と何度もお礼を言い、決勝戦のチケットを差し出した。
横浜国際競技場でドイツと戦った決勝戦。押切さんが見たのは、ブラジル応援団が陣取ったスタンドの最前列で風に泳ぐこいのぼりだった。
カカはブラジルの雑誌のインタビューに、「小学生の時に日本にいった。とても親切にしてもらって、異国の文化を学んだ。河原で遊んだりしたことは非常にいい経験だった」と語っている。世界をまたにかけるスーパースターの原点は、東北の農村にあったことになる。
押切さんは「日本と同じ組(予選F組)に入って戦うことは複雑だが、とにかくカカには活躍してほしい。日本から見守りたい」と親心をのぞかせている。
ますますカカを応援したくなりました。
ただ日本対ブラジル戦に関しては応援しませんがね!